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LAVA TARINA -2-

Ainoちゃんが夢見ていたステキなタンシラヴァが出来上がりましたよ。早速、その中を案内していただきましょう。

BGMは、フィンランド人作曲家ラウノ・レヘティネンによるフィンランド・タンゴ「Elämäni nainen」のピアノ・アレンジです。

 

※ 動画は画質を1080p(HD)モードにしてご覧ください。

ラヴァタンシとタンシラヴァの歴史

タンシラヴァ(tanssilava)は、ラヴァタンシ(lavatanssi)が開催される会場となる建物であり、美しい湖畔に映える独特の形をした素敵な建物もたくさんあります。現在、フィンランドには300を超えるタンシラヴァが存在しています。
 

ラヴァタンシの歴史を紐解くと、その起源は19世紀にさかのぼります。19世紀前半、人々(特に若い人たち)は農作業小屋、穀物乾燥小屋、路上や橋の上など、間に合わせの場所で余暇にダンスを楽しんでいました。

新聞にタンシラヴァの記事が見られるようになったのは1879年以降で、その頃からダンス専用の会場としてタンシラヴァが建てられるようになりました。1893年のラウマ新聞には「いたるところにタンシラヴァが乱立し迷惑である」という記事が載っています。当時、ダンスをしたい若者たちとダンス反対派の間には衝突があり、タンシラヴァは建てられては壊される運命にありました。しかし、若者たちのダンスの楽しみに理解を示す者もいて、自分の土地にタンシラヴァを建てる地主も現れ始め、取り壊されずに済むタンシラヴァの数が増えていきました。

1940年代までに作られたタンシラヴァは、せいぜい10m四方の屋根の無い簡素な形のものでした。しかし、このようなタンシラヴァは風雨にさらされて数年で老朽化し、今はほとんど残っていません。

当時のフィンランド政府は、ラヴァタンシに対して否定的な見解を持っていました。1914年から1981年まで、ラヴァタンシを抑制するために「娯楽税」が課せられていました。また、ソ連を相手に戦った冬戦争(1939年11月30日~1940年3月12日)および継続戦争(1941年6月25日~1944年9月14日)の間は、ダンス禁止令が発令されました。

 

ダンス禁止令に対し、ダンス愛好家たちは、解体・持ち運びが可能な移動式タンシラヴァで場所を特定されずにダンスをしたり、警察の見張りがやって来るとダンスではなく演劇を装って摘発を逃れたり等々、様々な対抗手段をとって自分たちのダンス文化を守りました。

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戦争が終わり、1950年代になると社交ダンスが黄金時代を迎えたことも相まって、より大きくて屋根のあるパビリオン型のタンシラヴァが建設されるようになります。中でも人気があったのは、一本の丈夫な中央柱で支えられた八角形のムッテリラヴァ(mutterilava)でした。それは優雅な形をしていて、200㎡程度の広さがありました。

やがて1960年代になるとフィンランド・タンゴが爆発的な人気を博し、フィンランド各地にさらに多種多様な400㎡を超える大型のタンシラヴァが建設され、ラヴァタンシ文化も絶頂期を迎えるようになります。しかしながら、1970年代になると新しいポピュラーミュージックの台頭や新しい余暇の過ごし方の波に押されて、ラヴァタンシ文化は厳しい局面を迎えることになります。多くのタンシラヴァが閉鎖され、ラヴァタンシは冬の時代を迎えました。

その流れが再び変わり始めたのは1980年代になってからです。ラッペンランタで1977~88年に開催されたフンッパ・フェスティバル(Lappeenrannan Humppafestivaalit)と1985年から始まったセキナヨキ・タンゴフェスティバル(Seinäjoen Tangomarkkinat)により、ダンス文化が見直され、再び人気が高まるようになります。

さらに、以前はラヴァタンシには飲酒とからめたネガティブなイメージもつきまとっていましたが、絶えず時代の流れに合った新しいルールが取り入れられたことで、1990年代以降はアルコールとは無縁の社交的で心身の健康増進に結びつくスポーツイベントとしての認識が定着しています。

現在のラヴァタンシは、地方の伝統的なタンシラヴァの他に、リゾートホテルやクルーズ船の中でも開催されています。

また、21世紀になってからは、いくつかの新しいダンス・ジャンルがラヴァタンシに加えられ、若くて熱心なダンス愛好家の数も再び増加傾向にあるようです。​

主要なタンシラヴァの情報

こちらの外部サイト(フィンランド語)に主要なタンシラヴァのリンクの一覧が載っています。

https://tanssi.net/cal/venues/
 

丸四角の中の数字は、近日中に開催予定のあるラヴァタンシの数を示しています。

各タンシラヴァのリンクをクリックすると、以下の情報をご覧になることができます。

Tanssit : ダンス情報 (開催期間、開催時間など)
Lattia : ダンスフロア情報 (形状、面積)
Yleisö : 来場者情報 (年齢やダンスのレベルなど)
Kyselyt : 問合せ先 (電話番号)
Palvelut : 付帯サービス (飲食、トイレ、アメニティなど)
Osoite : 住所
Ajo-ohjeet : 車などでのアクセス方法
Sijainti : 位置 (緯度、経度)
URL : ホームページURL
Julkinen liikenne : 公共交通機関
Hakujärjestelmä : パートナー声掛け方法 (種類、実施時間など)
Perustettu : 創立年
Karavaanarien palvelut : トレーラーハウス用駐車エリアのサービス

Elämäni nainen について

Elämäni nainen(“生涯の女性”という意味)は、フィンランド人作曲家 ラウノ・レヘティネン(Rauno Lehtinen / 1932-2006 )が1985年に妻に捧げるために作曲したフィンランド・タンゴです。

1985年はセイナヨキ・タンゴフェスティバルが初めて開かれた年であり、Elämäni nainenの曲は、タンゴフェスティバルにおいて、その年の最新タンゴ最優秀賞に選ばれました。

また、その年に史上初のタンゴ・キングに輝いたカウコ・シモネン氏(Kauko Simonen / 1951-)は、タンゴフェスティバルでこの歌を歌えたことがとても印象に残っていると述べています。

ちなみに、ラウノ・レヘティネンは日本でもお馴染みのジェンカ「レットキッス」 (Letkis)の作曲者でもあります。

以下の楽譜にはフィンランド語のオリジナルの歌詞に加え、その意味をあまり変えずに日本語で歌えるようにした歌詞も付けてあります。(楽譜をクリックするとその箇所の部分拡大表示ができます)

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